食べて、祈って、ゴルジェして - Roots GORGE探訪記 【前篇】(ver1.2)

このエントリーはGorge Advent Calendar 2014、5日目の記事です。


Gorge Advent Calendar 2014 - Adventar

 

まさかジュリア・ロバーツの来日が2010年8月に至るまで実現していなかったなんて夢にも思わなかったから、それを知った時、僕は無意識で小さく「ゴルい」と呟くこととなった。

ジュリアの初来日は、前年インドで撮影が行われた映画『食べて、祈って、恋をして』のプロモーションのために行われたらしい。当たり役となった『プリティ・ウーマン』('90)の時も、アカデミー賞の主演女優賞を獲得した『エリン・ブロコビッチ』('01)の時でさえ、彼女は日本の土を踏むには至らなかった。

ジュリアは『食べて、祈って、恋をして』の撮影時、ヒンドゥー教に改宗したという。ただし、この映画のロケでヒンドゥー教と出会ったのではなく、かねてからヒンドゥー教に興味を持ち学んでいたのだと語っている。ヒンドゥー教に興味をもつきっかけとなったのはニーム・カロリ・ババの写真を見た事であったそうだ。

アメリカで最も信頼されたスピリチュアル・リーダーの一人、ラム・ダスの編・著による『愛という奇蹟―ニーム・カロリ・ババ物語』や、ヨガ・マスターとして知られるスワミ・ラーマの著作『ヒマラヤ聖者とともに 偉大な霊性の師と過ごした日々』などで描かれているように、マハラジことニーム・カロリ・ババはインドの伝説の聖者だ。

ジュリア・ロバーツのような映画スターに限らず、僕らは伝説の人物(そして伝説そのもの)に魅了されてきた。Wikipediaによると、「伝説」とは 「人物、自然現象等にまつわる、ありきたり日常茶飯事のものではない異常体験を、形式上 "事実" として伝えた説話の一種」とある。
そして「類似の物語形式のものに昔話があるが、これらは、娯楽(エンターテインメント)目的の創作物として区別することができる、というのが通説である」が、「もっとも、日本でも伝説に戯作者などが脚色をおこなっており、ヨーロッパのアーサー王伝説群を例にとっても、後世の物語(ロマンス)作家がこしらえたエピソードも加わり、なかなかそう簡単に割り切ることはできなくなっている」ともある。

つまり僕らを魅了し続ける「伝説」とは、「フィクションであると踏まえた上で、時にはエンタメとして享受する、形式上 "事実" として伝えられた説話」を意味することになる。

言い換えるなら、僕らが「伝説」に求めるものが「ありきたり日常茶飯事のものではない異常体験」であり、そもそもが予め折り込み済みのことである以上、そこでは寧ろ、どこからどこまでが脚色部分であるのかを追求するなんてことはナンセンスでしかない、というわけだ。


ここで僕はふとあることに気がついた。

「音楽」にまつわる数々の「伝説」においても当然それは当てはまるし、実際のところ「音楽(史)」そのものが「伝説」のようなものではないだろうか。

根拠無く知ったような気がしていたジュリア・ロバーツのエピソード同様に、僕はロバート・ジョンソンが十字路で悪魔と交わしたという契約の内容について詳しく知らないし、パブリック・エナミーフレイヴァー・フレイヴが一体いつから、どういった理由であんなに大きな時計をぶら下げることになったのかも知らず、なんだったら近年のD'n'Bがなんだか凄い進化を遂げてドローンみたいになってきていたり、ベルリンのエクスペリメンタル/レフトフィールド系名門Panから続々とUKベース勢の作品がリリースされるようになった経緯も漠然としか掴めていないのだ。しかし、それにも関わらず、それらは半ば伝説のように、おそらくはフィクションも内包する形で僕を魅了し続けている。


-12/12公開予定の(中編)へ続く