食べて、祈って、ゴルジェして - Roots GORGE探訪記 【中篇】(ver1.3)
このエントリーはGorge Advent Calendar 2014、12日目の記事です。
Gorge Advent Calendar 2014 - Adventar
キャズム理論に即して「新ジャンルとしてのゴルジェ」及び「新語:ゴルい」の伝播プロセスを分析してみるか、などとぼんやり考えていたら、当初設定されていた公開予定日をゆうに過ぎていることに気がついた。
そもそもキャズムって深い溝って意味だよね。ゴルい。
情報システム用語事典:キャズム(きゃずむ) - ITmedia エンタープライズ
というわけで、ややこしいことを書くのは止めて、もっと実学的というか即戦力となるような音源紹介をしてみようか、という気にもなってきた。
「寒い冬の夜はエモくなるよね」とは鴨長明だったか。
「また、麓に一つの柴の庵あり。すなはち、この山守が居る所なり。」
ゴルい書き出しからして素敵ですよね、『方丈記』。
Amazon.co.jp: 方丈記 (岩波文庫): 鴨 長明, 市古 貞次: 本
つまりここで僕が何を伝えたいのかと言うと、
あらゆるところにゴルジェは存在する
ということなんです。
僕がゴルジェに惹かれるポイントは勿論いくつもあるわけだけど、その中でも最も重要なもののひとつに、神や仏など「超絶的存在」の不在というものが挙げられるように思う。
「音楽」を「物語」として、または「ファンタジー」として純粋に楽しもうよ、イマジネーションを駆使して。そんな明快かつアオハライドなメッセージに胸を打たれ続けていると言っても過言ではない。
余計なエピソードが入り込むスペースがもはや残されていない、ギッチギチに硬化してしまった「神話」や、誰に聞いたとしても大した誤差の出ない「絶対的な正解」なんてものは、じきに飽きてしまうものだよね。
ではそれを回避するにはどうしたら?
どんどん面白い方へと誤読、加筆修正していくのはどうだろう。「物語」の熱心な読者であると同時に、熱心な書き手でもあるということは、当然不可能なことではない。
『千夜一夜物語』などを例に挙げるまでもなく、現在に至るまで読み継がれている古典は、控えめに言ってもその大半が幾度と無い加筆やヴァージョン・アップを経て現在の姿へと至っていたはずだ。
それと全く同じことが、僕らの愛する音楽に於いても言えるのではないだろうか。
ゴルジェには(本当はどんな「ジャンル」だって同様なんだろうけれど)ここが頂点というような音源や方法論は存在しないし、証拠抜きで確信を持つべき「信仰」対象なんてものは存在し得ない、ということ。
擬人化された霊的存在への信仰、つまりアニミズム以前の感覚、マレットが言うところの「プレアニミズム」な状態と考えると分かり易いかも知れない。神道などの多神教や、精霊や自然崇拝への馴染みが深いここ日本で、欧米に先駆けゴルジェが広まったのも偶然では無いだろう、と僕は考えている。
コミットするためのライセンスは不要であり、既存のフォーマットに寄り添う必要性も全く無い。今ふと思ったが、ここはある意味では浄土宗的であるとも言えるかも知れない。誤解を恐れずに言えば、ゴルジェを信じる者は、その出自や経歴を問わずに「救われ」歓迎されるという意味合いに於いて。
あるのは山、岩(のイメージ)それだけだ。
リスナーがその楽曲または音塊を聴いた時、眼前に険しく切り立った岸壁やゴツゴツとした岩の映像が浮かんできたなら、それは間違いなくホンモノのゴルジェであると言えるだろう。
くどいようだけれど、既に世にリリースされているゴルジェ音源に似ている必要など全く無いし、人間がより新たな刺激を求める貪欲な生き物である以上、僕らの集合知としてのゴルジェは日々その姿を変え、高度を増していって然るべきなのだ。
レジェンドDJ Nangaの有名な言葉に「Enjoy Your GORGE」というものがあるけれど、それが意味するものは何なのだろう。
僕はこう理解している。
ゴルジェのオリジネイターであるという点において、DJ Nangaも僕も今この文章に目を通している読者も完全に並列であり、楽しむべきは既に固定化された誰かのゴルジェではなく、あなた自身のゴルジェである、と。
というか、繰り返しによる積み重ね、ゴルいよね。
「Enjoy Your GORGE」
-そして明日12/19は遂に実用編となる(後編)へ!